大正時代の終わり頃から、長江先生は病気のために体の自由が利かなくなり、大変な苦労をされました。このころかなの先生は熱心に仏教の勉強に打ち込みながら、「釈尊(しゃくそん)」(仏教の開祖・お釈迦様のこと)の執筆をすすめ、多くの宗教関係の著作を書かれました。ペンをもつこともできなくなった最晩年の作品は、姪の美乃(みの)さん等が先生の言葉を書き留めたものだそうです。あらためて長江先生の精神の強さを思わずにはいられません。 昭和11年1月11日、長江先生は東京のご自宅で亡くなりました。詩人の佐藤春夫は、長江先生の生涯にわたる著作は原稿用紙2万枚を超えるだろうと推測しています。長江先生の著述活動にかけた情熱と努力が、いかに並はずれたものであったかがこのことからもわかります。
没後20周年を過ぎたころ、先生の故郷である鳥取県日野町で先生の業績を改めて顕彰しようという運動がおこりました。奥の人々の努力によって、昭和33年(1958)、日野町にある延暦寺にりっぱな顕彰碑が建立されました。そこには晩年の先生の新年が、先生の直筆で刻んであります。皆さんも一緒にこの言葉の意味を考えてみましょう。
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