白つつじの会タイトル

明治から昭和初めにかけて活躍した文人 生田長江について紹介します。
※「白つつじ」とは、生田長江が妻の死後、悲嘆の中詠んだ詩の題名。率直にその心情が表され創作のきっかけにもなった作品です。

   
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子ども時代の長江先生

 長江先生は、明治15年(1882)、父・喜平治、母・かつの三男として、貝原に生まれました(当時は根雨町貝原)。弘法大師様の御縁日に生まれたので、長江先生のお祖父さんが弘治と名づけたそうです。

 長江先生は、武庫簡易小学校、根雨簡易小学校から根雨尋常小学校を経て、日野郡高等小学校を卒業しています。今の中学2年にあたる年齢で、当時の延暦寺の松本大典和尚から、漢籍(漢文で書かれた書物)の読み方を教わったりしています。長江先生は根雨で過ごした子ども時代を振り返り、信仰心の厚かった両親からとても大きな影響を受けた、言っています。

 14歳の時、お兄さんをたよって大阪に行き、大阪桃山学院に入学しました。当時はまだ鉄道が発達していませんでしたから、根雨から歩いて四十曲十下を越えて、旭川の船便で岡山に出て岡山から汽車で大阪まで行くという大変な旅立ちでした。

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