山陰観光ガイド

米子城築城と市街地の形成



今から約四百年前、関ヶ原の戦いの後、駿河国から当地へと移封された中村一忠が、米子城を築城。全国から優れた商人や職人を呼び寄せ、家老の横田内膳は加茂川を整備したり、お城の要塞として寺町通りをはじめとした“城下十八町”といわれる町並みを完成させました。若くして一忠が亡くなった後、1632年、岡山の池田家が鳥取藩主となり、米子城は家老・荒尾成利の預かりとなって以降、米子の商人たちは様々な形で厳しい取り立てをされました。反面、米子は「殿様のいない城下町」であり、外部との交流も比較的自由になされました。これらの条件から“自由闊達で開放的”な、米子人独特の気風が育まれたとも思われます。


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3085
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