年 |
年齢 |
事項 |
出来事 |
1907 (明治40) |
25歳 |
亀田藤尾(江府町大河原出身)と結婚 与謝野鉄幹夫妻の隣に居し、与謝野晶子に英語を教える 成美女学校の英語教師になる 馬場狐蝶・与謝野晶子らと「閨秀文学会」を発足 平塚らいてう、山川菊枝らが参加 |
− |
1908 (明治41) |
26歳 |
「煤煙事件」(平塚らいてうと森田草平の心中未遂事件)が起こる 生田春月を知る |
− |
1909 (明治42) |
27歳 |
ニイチェ「ツァラトゥストラ」翻訳に着手 紀州新宮に講演旅行、佐藤春夫を知る |
− |
1911 (明治44) |
29歳 |
「ツァラトゥストラ」刊行 平塚らいてうら「青鞜社」創立、「青鞜」創刊 |
韓国併合(1910) |
1913 (大正2) |
31歳 |
長女まり子誕生(結婚7年目) 青鞜社第1回講演で「新しき女性を論ず」との講演を行う 「死の勝利」(ダヌンツィオ、長江訳)この年のベストセラーとなる |
− |
1914 (大正3) |
32歳 |
森田草平とともに雑誌「反響」発行(翌年廃刊) 堺利彦・大杉栄と親しくなる |
第一次世界大戦に参戦(1914〜28) |
1915 (大正4) |
33歳 |
ニイチェ全集の翻訳を始める |
− |
1916 (大正5) |
34歳 |
武者小路実篤ら「白樺派」に対する批判及び論争を巻き起こす |
− |
1917 (大正6) |
35歳 |
5歳のまり子を残して妻・藤尾病没 堺のすすめで、初めての脚本「円光」執筆の他、小説「環境」、故郷日野郡を舞台にした戯曲「八木節大流行」等この頃多くの小説・戯曲を書く |
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1918 (大正7) |
36歳 |
マルクス「資本論」翻訳(この訳は第1分冊のみで終わる) 戯曲「円光」を劇団国民座が上演(監督・久米正雄、舞台美術・関根正二) |
− |
1919 (大正8) |
37歳 |
長兄・虎次郎郷里に死す 島田清次郎「地上」(第一部) |
− |
1920 (大正9) |
38歳 |
「徹底人道主義」出版 伊福部隆彦・智頭より上京して長江に師事する |
国際連盟に加わる |