白つつじの会タイトル

明治から昭和初めにかけて活躍した文人 生田長江について紹介します。
※「白つつじ」とは、生田長江が妻の死後、悲嘆の中詠んだ詩の題名。率直にその心情が表され創作のきっかけにもなった作品です。

   
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年譜3

年齢 事項 出来事
1921
(大正10)
39歳 父・喜平治死す
高群逸枝「日月の上に」
1923
(大正12)
41歳 「ブルジョアは幸福であるか」出版
関東大震災のため蔵書、雑誌、写真等のほとんどを焼失
1925
(大正14)
43歳 病状悪化の(介助を要した)ため鎌倉に移転
「超近代派宣言」出版
1926
(大正15)
44歳 母・かつ郷里に死す
1927
(昭和2)
45歳 「釈尊」を構想し始める
1929
(昭和4)
47歳 新潮社版「ニイチェ全集」全10巻完結
1930
(昭和5)
48歳 東京に引っ越す
雑誌「改造」に「釈尊」第一部を発表
1932
(昭和7)
50歳 「宗教至上」出版 満州事変(1931)
1933
(昭和8)
51歳 病重く、不自由な身で「釈尊」を執筆 国際連盟脱退
1934
(昭和9)
52歳 「釈尊」第二部発表
この頃失明、後述で続稿を急ぐ
1935
(昭和10)
53歳 「釈尊」第三部までを創作「釈尊」(上巻)として出版
1936
(昭和11)
54歳 1月11日歿す
葬儀は1月14日、本郷赤門前、喜福寺で行われた(長江夫妻の墓は鎌倉の長谷寺)
「聖典講話」(雑誌「大法輪」)
「生田長江全集」
日中戦争始まる(1937)
1941
(昭和16)
「東洋人の時代」(佐藤春夫編)出版
1957
(昭和32)
遠藤一夫氏らの呼びかけにより日野郡で「生田長江顕彰会」発足
「生田長江の人と業績」出版
1958
(昭和33)
延暦寺(日野町根雨)に顕彰碑建立
晩年の長江 長江の葬儀
晩年の長江
おそらく昭和初年、鎌倉での撮影か。
長江の葬儀(昭和11年)
東京帝国大学赤門前、喜福寺にて。
(写真提供:生田夏樹氏) (写真提供:生田夏樹氏)
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