白つつじの会タイトル

明治から昭和初めにかけて活躍した文人 生田長江について紹介します。
※「白つつじ」とは、生田長江が妻の死後、悲嘆の中詠んだ詩の題名。率直にその心情が表され創作のきっかけにもなった作品です。

   
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生田長江の年譜

 生田長江(いくたちょうこう)は明治40年代から昭和10年ごろにかけて、翻訳、文芸・社会評論、創作、後進の発掘・紹介などに目覚しい活躍を見せ、当時、日本の論壇の中心に位置しました。

 鳥取県日野町(ひのちょう)貝原(かいはら)に生まれた長江は、日本で初めての本格的作家論といわれる「風葉論(ふうようろん)」で一躍その存在を認められ、以来文芸評論の分野で光彩を放つことになります。また、女性解放運動のきっかけともなる「青鞜(せいとう)」の産婆役を務め、その命名者であることでも知られています。

 長江は新進の紹介や発掘に、特別の才能を持っていました。佐藤春夫(さとうはるお)、生田春月(いくたしゅんげつ)、島田清次郎(しまだせいじろう)、作詞家の藤田まさとなどなど、いずれも長江が世に出したといえる人たちです。また、翻訳家としての長江は、ニイチェ全集の個人全訳を通じて、ニイチェの本格的な紹介者としても大きな役割を果たしました。

 創作では、小説、詩、短歌、戯曲などがありますが、やはり長江の真骨頂は評論でしょう。文芸評論では、多くの原稿が長江のもとに持ち込まれ、驚くべき正確さで、前途有為な才能を見出した長江の鑑識眼は一流のものがあったと言われます。当時、文壇に力のあった夏目漱石(なつめそうせき)や森鴎外(もりおうがい)、島崎藤村(しまざきとうそん)などに対しても、歯に衣着せぬ鋭い論鋒で公平で先見的な評価を下しています。

 長江はやがて「科学的なもの〈真〉と、道徳的なもの〈善〉と、芸術的なもの〈美〉が、宗教的なもの〈聖〉に統一される」という信条から、病気の身体に鞭打って「釈尊(しゃくそん)」の執筆に執念を燃やしましたが、業半ばにして昭和11年歿しました。


生田長江年譜1(1882〜1906) ----

生田長江年譜2(1907〜1920) ----

生田長江年譜3(1921〜1958) ----


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