【7月17日(日)14:00〜16:00 大船渡地区公民館】 大船渡市での二度目の『公園遊び』は大船渡地区公民館。 ここも高台に位置し、公民館の体育館には未だに被災された方がおられた。 高校時代のサッカー部の友人の家がすぐ近くにあり、 高校時代によく泊まりに来ていたので、 そこから見下ろす町並の変化に愕然とした。
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そこは個人的にすごく思い入れのある地域だった。 それ故に感傷的になる半面、これから出会うであろう子どもたちの笑顔が楽しみだった。
今回は女の子が一人待ってくれていた。
多分おばあちゃんに連れられてきたのであろう、 最初は「なんだろこの人たち」というような顔をしていた。
岩手県人は恥ずかしがり屋で、 なかなか簡単には心を開かないような気がする。 それは22年間岩手県に暮らしていた僕の印象だ。
そんななか、一人の男の子が来て、遊具で遊びだした。 僕らも負けじと遊具で遊び、その遊具を使ってじゃんけんゲームを始めた。
楽しそうな笑い声に誘われて、 最初は警戒していた女の子も近づいてきて、 どんどん子どもも集まってきた。
おいしいご飯の匂いのように、 〈笑い声〉にはみんなを誘うにおいがあるのではないかと思う。
それからはみんなで楽しく遊んだ。
ボールだるまさんが転んだ、ろくむし、バナナおに、UFOおにごっこ、めんこなど、 みんなが今までやったことが無いという遊びを楽しんだ。
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米子に帰って来てパソコンを開くと、 ここでの公園遊びに参加していた子どものお父さんからメールが届いていた。
7月17日,大船渡地区公民館前での「公園遊び」ありがとうございました。 子どもは,本当にうれしそうでした。 今日も体のあちこちが筋肉痛だそうです。 そんなうれしい悲鳴も震災以来です。 震災以来,子どもたちの遊び場は本当にありません。 休み時間のサッカーもできません。グラウンドには仮設住宅,体育館は避難所で す。 近所の小さな公園でさえ,遊具がクレーンで吊り上げられて撤去さ れ,仮設住宅が建っています。 子どもの通う大船渡北小学校は,近隣の文房具屋さんの善意で貸していただいている「タケノ広場」と学校の中庭ぐらいしか外で体を動かせる場所はありません。 そんな中での今回の催しは本当に子どものキラキラした笑顔を久しぶりに見せてくれたように思います。 普段は接することがほとんどない,隣の小学校,大船渡小学校の子たちと何の隔てなく一緒に遊んでいたのが,さすが「妖怪,ガキ大将」の力だなぁと感じました。 7月17日の宿題の作文には「公園遊び」のことを書いていました。 メンコ(バッチン?)が一枚取れたことがとてもうれしかったそうです。 本当にありがとうございました。 遠く鳥取からの温かい支援深く感謝します。 そして子どもたちの笑顔を鳥取の皆様にお伝えいただければ幸いです。
メールを見たときに、 逆に僕自身が救われたような気がした。
〈僕にできることはなんだろう〉から始まった今回の公園遊びが、 確実な意味を与えてくれたような気がするからだ。
それは 〈僕にできることはなんだろう〉から 〈僕らにもできることがあったんだ〉と確信できた瞬間だった。
震災を受けて、 誰もが何かできることはないかと考えたと思うし、 それと同時に少なからず【無力感】も感じたと思う。
でも、 ありきたりの言葉になるかもしれないが、
「自分にできることは必ずある。」
そう確信した大船渡地区公民館での公園遊びだった。
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