「米子市再生・元気回復 ズバッと改革!熱血市政」 うわばしげとし(上場重俊)ホームページ

2003年4月「いまこそ農を語るとき」に寄稿

『いまこそ農を語るとき』と題された書物が、平成15年4月1日に「鳥取県農政懇話会」により発刊されました。私、上場重俊も幹事として活動させていただく機会に恵まれ、鳥取県農政懇話会により平成15年各会員の論文を編集し『いまこそ農を語るとき』と題し発刊されるに至った際、序章及び里山の黄色いハンカチと題した中山間地域と集落についての自分の考え、願い、提案を寄稿させていただきました。

写真【冒頭】
 『いまこそ農を語るとき』と題された書物が、平成15年4月1日に「鳥取県農政懇話会」により発刊されました。鳥取県農政懇話会とは、我が国農業の先覚者である新渡戸稲造博士が述べられ、戦前まで国是として信奉されてきた「農は国の本なり」という思想と、「農業はただ単に商品としての食糧を生産しているのではない。それは自然環境と人間の社会経済をつなぐ人間文明の根源としての営みである。そのような農業を、経済合理性だけで語るべきではない」という【小島理念】のもと、米の自由化など大きく変貌する社会の中で農業・農村をいかに活性化していくのか、その対策に腐心する県、市町村及び農業団体などの有志が集い、施策について学習する場であり、平成6年2月に小島慶三先生のお許しを得て設立され、全国各地の「小島塾」への仲間入りを果たした会でございます。私、上場重俊も幹事として活動させていただく機会に恵まれ、鳥取県農政懇話会により平成15年各会員の論文を編集し『いまこそ農を語るとき』と題し発刊されるに至った際、序章及び里山の黄色いハンカチと題した中山間地域と集落についての自分の考え、願い、提案を寄稿させていただきました。
 幾分か古い記述になりますが、私の農業に対する思いや考えは今でも変わりませんし、現場主義を貫く原点ともなりましたから、敢えて以下に私の小文を皆様に紹介したいと思います。

         

序章:いまこそ農を語るとき



【国土と農】
 鳥取空港を離陸する飛行機は、日本海で上昇し兵庫県北部上空から本州を横断する。富士山を経て房総半島を見下ろしながら羽田空港に着陸するが、所要時間一時間余。眼下に山と谷が幾重にも続き、道と川と狭小な農地と人々の住居が見て取れる。人の姿は見えないが、われわれの生活の舞台と、われわれが大地に抱かれていることは思わずにはいられない。
 わが国は、いうまでもなく、ユーラシア大陸の東、紺碧の海に浮かぶ緑豊かな敷島である。温暖で四季があり、雨量が多く水と緑に恵まれている。砂漠や原生林は無いが地形急峻な山地が多く平地は少ない。
 ちなみに、国土(鳥取県土)の67(74)%が山林、13(11)%が耕地、20(15)%がその他となっている。
 47億年といわれる地球と自然の中に、われわれ人類の祖先は数万年前から活動を始め、この国土にも住み着き、繁殖し、社会を形造ってきた。
 人類は学名「ホモサピエンス」として「道具を作り使う、死者を弔う情緒がある」と定義されている。道具は石、竹、木から鉄を発明し、装置としての道路、水路、農地、住居、墳墓、城、寺院等々を作り重ねて来た。
 洋の東西を問わず、人類は各地の自然の有様を生かし、逆にいうなら自然条件に制限されながら、食糧を得、蓄積と欠如を繰り返し、分業が形成され、戦乱と統治の歴史を経て今日に至っている。
 21世紀の迎えた今、日々のわれわれが接する情報は目先の不況のことや治安の悪化のこと等数々あるが、国土と人々のあり様、とりわけ、わが国の国土の意味について、今こそ考えてみる必要がある。
 東京駅からJR新幹線で大阪に下る。横浜を過ぎればすぐに田園風景が広がってくる。静岡、浜松、名古屋、岐阜、関ヶ原・・・と、田園があり、一級河川があり、地方都市があり、そして田園がある。
 京都駅から特急「スーパーはくと」で鳥取に帰る。山陽道も東海道にまたしかりである。佐用町、智頭町の杉の美林を経て因幡に入ってまたしかり、田園は四季を通じて耕され、実りを蓄え、美しく広がっている。
 われわれ鳥取県民の祖先は、累代に渡って不毛の原野に網の目のごとく水路を作って水田とし、砂丘や大山の裾野を畑とし、裏山に梨を植えて今日に至っている。その不屈の営みが、鳥取県の美しい景観を作ってきた。このわが国の景観は、人々がそこに住み、農地を耕し、山を手入れすることによって形成されてきたストックである。国土のほとんどは山林と農地として面で広がっており、それを管理しているのが、政府の国土交通省ではなく全国で約355万人(国民の2.8%)の農業専従者である。ただし、彼等の67%が60歳以上となっている。そして国土は、国民全体のものである。

【農は不要か】
 農業と林業は、自然と調和した生産活動を通じて、国土や自然環境の保全、良好な景観の形成といった多様な役割、すなわち「多面的機能」を果たしている。即ち、おいしい水と空気、心休まる緑の風景、鳥のさえずり等、われわれの生存にとって最も必要不可欠なもの、しかも国民がほとんど無料で享受しているもの、逆にいえばお金で買えないものを提供している。
 ちなみに、森林の公益的機能の評価額は全国で75兆円、鳥取県で8800億円と試算されている。
 われわれ国民が都市に全員結集して、香港やシンガポールのように暮らし、農村に人がいなくなったとして、どのような国土になるであろうか。国土はまたたく間に荒廃し、幹線道路も鉄道も自然災害の度に寸断されるに違いない。地方の商工業者も廃業やむなき事態になるであろう。都市は更なる過密で水不足やゴミの問題に直面するだろう。
 次に農業は国民に食料を提供している。あまりに多くの農産物が安く輸入され、日本の農産物は価格が高いとの不満や中には全量輸入すればよいとの極論もある。
 しかしながら、食料の基本についての国民の認識があまりにも不足している。世界のどこでも、いつの時代にも共通普遍な真実が忘れられている。飽食平和ボケと言っていい。
 年一作しか収穫できない。土地の制約、気象の変動を受ける。貯蔵性に乏しい。経済の原理にゆだねれば、過剰期には異常な安値になり、欠乏した時には異常な高価格になる。更には弱い人からの餓死を招くといった基本的な事項は、国防と並び国家のセキュリティに関する重要な視点である。
 そもそも、国家の人口は国土の食料生産可能数量と相関して来たものと思う。わが国の。わが国の人口は昭和初期で6〜7千万人であった。農村の二、三男が満州の開拓をめざしたのは、そう古い時代のことではない。
 現在のわが国の食料は、農業技術の進歩と世界からの輸入によって賄われているが、輸入の一部でも異変があれば極めて危険な水準にある。
 ほぼこのような視点で、平成11年7月に新しく『食料・農業・農村基本法』が制定された。
 わが国に農は必要である。法も制定された。しかし、国民の合意はこれからである。

【誰がどのような農業をするのか】
 農業は、国民にとって重要な役割を担っているが、農家は農地を私有し、私経済として業を営んでいる。
 農家は過保護だという人が多い。国道は建設費の全部を国が負担し、国民は無料で通行している。農道は高補助率であるが、農家は用地を提供し自己負担をし、そして国民も農道を無料で通行している。即ち、農業は私経済であるが故に農道受益者の自己負担があり、私経済では建設費が賄えず、かつ公益性があるが故に税が投入されている。国道も農道も無料で通行する国民が農道を過保護と言うとすれば、それは説明不足と誤解でしかない。
 このような誤解やあるいは意図的な悪宣伝が、農村に住む人々の心を暗くし、自尊心を消滅させてきた。
 また、農産物価格の下落によって農家経済は病癖の極みにある。加えて、農業従事者の大半が高齢化し退職と廃業が相次ぎ仲間が年々少なくなっている。一方、農業に参入する人は近年微増はしているもののまだ少ない。これだけの不況と失業率の中にありながらである。

【いまこそ農を語ろう】
 国の政策は、大規模な経営体を育成することになっている。
 確かに、農業経営も、JAの経営も、企業の経営も、世界の市場経済の中にある。コストの低減や消費者ニーズを吸収しなければ成り立たない。その努力を阻害するような規制があれば緩和や撤廃も必要であろう。経済合理性の追求は不断に続ける必要がある。
 現下の小泉政権は、竹中平蔵氏他の自由経済主義者の追求は不断に続ける必要がある。
 しかし、である。例えば、体に障害があって働けない人の為に福祉がある。生命が関わることには、経済合理性だけに委任できないことが多い。それが人類の英知であり、政治の役割ではないか。
 世界の畜産物の生産と流通を経済合理性のみに委ねた結果、生じてきたのがBSE(牛海綿状脳症)である。
 われわれは、経済合理性を否定してはならない。しかし、経済合理性だけでは解決しない事、いや、むしろわれわれの生存が危なくなるという事実を賢明に洞察する必要がある。その調和を取ることこそ政治のはずだ。
 また、短期的利益は、長期的利益を損なうという有名な言葉もある。便利が良いからと車ばかり乗っていれば足腰が弱るように、便利さのみを近代文明が追求した結果、環境や健康に大きな不安を抱えている今日、その調和も必要になっている。
 農業についていえば、農業経営の大規模化を進めることと、農林業が多面的機能(非経済的側面)が発揮するために、国土が面として善良に管理されることを、どのように調和をとるかということこそ現下の大課題のはずである。
 現在、農地法によって、農地の取得加下限面積は北海道以外は原則50アールとされている。戦後、農地解放によって零細な自作農が多数生まれ、時代の経過に伴って経営体への集約を図るために用意された制度である。
 今や、多くの人が農地に還流しなければならない時期を迎えたのではないか。ハウス栽培なら5アールの農地で十分ではないか。初心者が少ない資金で農地を取得するなら5アールで良いのではないか。山間地の谷の奥なら10アールでなぜだめなのか。もとより、農地として活用されることが前提である。所得を目標とせず、心と体の癒しのための自給自足を否定する必要はどこにもない。50アール以上を例えば一号農家、それ以下の農家を二号農家としてもいい。
 また、逆に農業からリタイアせざるを得ない人々が地域で相談して、秩序ある名誉ある撤退をするのであれば、それをサポートすることも必要になるのかもしれない。
 今日まで、農政は農林水産省が企画・立案し、県、市町村、JAと上意下達で示されて来た。一昨年から、農林水産省は、幹部が現地を訪問し、政策提言を求めている。県も現場主義のプログラムの政策を行っている。
 ようやくにして、農を語る時がきた。生活者の視点、目線で、何が本当で何が思い違いなのか、互いに語り考える時となった。
 その主人公は、消費者たる国民と生産者たる農業者と納税者としての国民であり、行政や農協の役職員も政治家も、学者諸氏もそれを支える公僕として地方自治と民主主義の成熟を支援すべき立場にある。
 私利私欲のためではなく、心を清浄にして語ることから始め、責任ある行動をすることこそ次の世代に対するわれわれの責務と思う。  (上場重俊)

中山間地域と集落


里山の黄色いハンカチ

 かつて「幸せの黄色いハンカチ」という高倉健主演の映画があった。妻を倍賞千恵子が演じ、炭鉱の貧しい家で妻が黄色いハンカチを旗にして夫を待ち続けていた物語。ご記憶の方も多いことだろう。山田洋次監督の作品。

 【人の住む場としての山里】
 さて、森の王者ゴリラは、バナナが大好物で木の実だけを食べてすごぶる元気なのだそうであるが、元来、われわれの祖先も森の中で暮らしていたに違いない。
 人間が生活するのに生命レベルで必須のものは飲料水と食べ物であり、谷川沿いに居を定め、裏山の豊かな実りを食糧としたことであろう。
 また、道具を用いることは人間の人間たる所以とすれば、石を用い、竹を用い、ツルを用い、更に火を用いるための燃料を得るにも里山は格好の場所であったと思われる。
 いつの頃か、水稲という驚異的な作物が伝わってくると湿地を耕し、水路を作って水田とした。
 山の草々を薬草とし、木の実は食用にもなれば魚を取るための魚毒にもなった。
 また、娘の衣服は草木染めで美しく飾られ、若者が吹く土笛の恋歌が月夜に甘く流れたに違いない。
 そこには、きっと無数の黄色いハンカチが、つまり幸せというものがあったに違いないと筆者は思っている。というより、そう信じている。
 青森県の三内丸山遺跡や、本県の妻木晩田遺跡は、最近になって発掘され、彼らの暮らしが予想以上に豊かであったことを物語っている。
 もとより、現代のわれわれの生活と比較して不便か便利かといえば、不便極まりないことはもちろんのことであり、しかも毎日が自然や外敵との戦闘の連続であるから平和に独りで生きることは不可能であり、「群れ」すなわち「集団」「集落」という構成が生存の必須条件であったと思われる。
 付言するならば、私が今住んでいる沖積平野の一級河川の河口付近といった場所は、大雨が降れば濁流で家もろとも押し流されるし、日々の燃料も乏しくて、決して人が住む適地であったとは思われない。
 山里こそ、人が豊かに幸せに暮らせる場所であったに違いない。

 【便利さを求めて】
 さて、近代文明とは何かといえば、その一面は「便利を尊し」とする価値観であろう。便利でないものは全て遅れていて悪いことであるとして、われわれは洋の東西を問わず、便利を求めてきたし、今なおその途中にある。
 多くの人々が便利を求めて村から都市に出た。村に残った人々のために行政は過疎対策や辺地対策を行い、道路を改修し、集会所を作り、あらゆる「不便対策」が講じられて来た。その潮流の中でわれわれは所得を求め、暮らしを形作ってきた。
 そして、確かに、山里も以前に比べれば格段に便利になった。山中に食料を求める必要はなく、スーパーマーケットとコンビニに行けばよい。わが家の山がどこにあるかを知った人がいなくなった。
 家族がいなくても、独りで暮らせるようにもなった。従って、若者は結婚しなくなった。まして集落の機能も格段に弱くなりつつある。すべては便利のおかげで都市も山里も同じ暮らしになった。

 【便利の代償】
 しかし、それでよいのかという疑問が誰の心にもあるのが現代である。
 われわれが母の胎内に宿っていた証明として、腹の真ん中にヘソをくっつけているように、海や河に釣りに行く人、冬の山に猟に行く人、高い山に登る人、山芋取りに行かずにおれない人々が無数にいる。サッカーは、昔の猟のなごりらしいが、世界中の若者がサッカーに熱狂するのではないか。
 更にまた、この頃では歩く人が異常に多くなってきた。夕方になるとゾロゾロと皆が歩き出す。田畑に行かぬ嫁、山に行ったことのない会社勤めの後継ぎが早々と夕食を済ませて歩き出す。都市も山里も同じである。つまりのところ、生活の一部に不便を取り入れなければ体も心も健康が保たれないことに皆が気付き始めたものと思われる。さて、便利さにはコストが必要である。テレビ、自動車、携帯電話等の一人当たりの維持コストは、都市より農村の方が高い。つまり、比較劣位をコストで補って同じレベルの便利を求めているのだから。
 一方、一人当たりの収入は農村の方が少ない。かつてはコストが不要であれほど豊かであった農村が、今、便利の代償としてコストの支払い能力の不足にあえいでいる。
 そして、あえぎながら山里の人々は山に行かずに村の道路で散歩をしている。滑稽というべきであろう。

 【価値観の転換】
 世の中にはとにかく元気な人がいる。その一方で、とにかく元気の無い人がいる。どうも金があるとか無いとかとは全く関係がないことのようであると、この頃思うようになってきた。
 小さくても輝いていればいい。急がなくてもゆっくりでいい。要は自分らしくあればいい。そして、少しでも人の役に立てばいい。そういう若者がどんどん増えている。
 ファーストフードからスローフードへと食への価値観も変化しつつある。便利さと不便さをどのように組み合わせるのか、自分流の試行錯誤に皆が取り組み始めたといっていい。 
 要は、何が本当に幸せなのかというテーマに関して、20世紀までの価値観が徐々にではあるが潮の流れのように巨大な力で変化しつつある。文明の次の展開がそこにある。
 さて、であるとすれば、山里、中山間地域はこれからの時代において、未来のわれわれにとってどのような意味を持つのであろうか。
 住民は何を行い、行政は何を支援すべきなのであろうか。少なくとも、住民が何もせずにすべてを行政に期待するという姿勢、逆にいえば、行政がすべてをしてあげますという姿勢は行き詰まりになっている。
 幸せの黄色いハンカチを高々と掲げる妻たちが、鳥取県の山里に数多く出て来て欲しいものである。行政は、教育、福祉、産業、環境等のあらゆる分野で、それを支援するべきではなかろうか。
 いずれにしても、山の草々は強い。何があっても強い。われわれは今一度山の草々に学び、山の草々のごとくに強く生きたいものだ。
 子どもと一緒に家族で山に入ることから始めてみようようではないか、子供たちの未来のために。(上場重俊)
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