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[2008/2/25(月)] 数寄というのは、昴ずれば身上をつぶすという危険と表裏をなしているからこそ、数寄をつらぬいた人がいっそうに珍重されて。司馬遼太郎さん曰く、「―ざんねんなことに、物好きというのは、李朝の時代にいなかったんです。その点、日本の室町や江戸文化がうらやましい。」と日本のことを誉めてくれた韓国の友人がいらっしゃったとか。地元の偉大なクリエーター、水木しげるさんについてですが、弓ヶ浜絣の織り元のお家を訪ねることがあって、海に面した昔ながらの港町の住宅街を歩きながら「ゲゲゲの鬼太郎」が生まれた風土というのを生で感じることができました。冬の港町は寒くて、昔の日本はどこでも夜は暗くて、家々もそんなに大きなものではなくて。そんななかで子供心に恐いと思う気持ちを押し込めてしまうのではなく、ユーモアでもって表層意識に押し出してゆく想像力と創造力。弓ヶ浜絣もまた、遠方漁業に出る旦那さんの為に色々な柄模様を生み出しながら機織りをしてきた港町の女性の文化です。綿から糸を紡ぐ無形文化財になられたおばあちゃんの姿を見ていたら、職人さんの手仕事姿って静かで優しいなあと思いました。好きになること楽しむこと、の智恵や努力について昔の日本人の暮らしのなかに沢山のヒントがあるような気がしています。 |