長江は東京帝国大学の学生時代から翻訳に取り組みました。その多くは英語訳からの重訳ですが、アンデルセンの『花物語』を初めとして、アリストテレスの『詩学』、トルストイの『我が宗教』、ツルゲーネフの『猟人日記』など多数の翻訳を残しています。
もっとも著名なものは『ニイチェ全集』の翻訳で、明治43年に『ツアラトウストラ』を翻訳して以来、約二十年をかけて全十二巻の翻訳を完成させました。これは日本におけるニイチェの受容に大きく貢献したと言われています。
マルクスの資本論の翻訳も日本初のものでしたが、第1分冊の出版のみで中止となりました。これは、当時カウツキーの「資本論解説」を雑誌「新社会」に翻訳連載していた高畠素之が、『資本論』の全訳出版を予定しており、先に出版された長江の翻訳について、誤訳の指摘を初めとして、新聞や雑誌で批判を繰り広げたためと言われています。その中には中傷や言いがかりに過ぎないものも多くありましたが、結果として長江の資本論は完成することはありませんでした。
翻訳として当時のベストセラーとなったものに、ダヌンチオの『死の勝利』があります。大正2年に出版され、空前絶後と言われる売れ行きで、新潮社の翻訳出版の発展のきっかけとなりました。
長江の翻訳とその文体は、大正から昭和の初めにかけて、海外文学の受容に大きな影響を与えました。フローベール『サラムボオ』の翻訳は、横光利一の処女作『日輪』のモデルとなり、萩原朔太郎もまたニイチェの詩と思想は長江訳でなくてはならない、というほどの大きな影響を受けたといわれています。
「Blue stocking」を「青鞜(せいとう)」と翻訳した長江の言葉に対する造詣の深さと言語感覚のするどさは、ダンテ『神曲(しんきょく)』の翻訳にも生かされています。58万部ものヒットを記録した新潮社「世界文学全集」全38巻の第1巻を飾ったのは、この長江訳『神曲』でした。
<画像は新潮社版「ニイチェ全集」第一編(日野町図書館蔵)>