白つつじの会タイトル

明治から昭和初めにかけて活躍した文人 生田長江について紹介します。
※「白つつじ」とは、生田長江が妻の死後、悲嘆の中詠んだ詩の題名。率直にその心情が表され創作のきっかけにもなった作品です。

   
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長江の人柄

 皮肉と諧謔に富んだ批評家という反面で、長江の人柄は、真面目で折り目正しく「衣冠束帯の人」と弟子にも語られています。しかし実際には、ピアノを弾き、安来節を歌い、絵筆を取るといった多趣味でユーモアのある人物でもありました。面倒見のよさもあり、成美女学校や青鞜の若い女性たちから慕われました。

 36歳のとき妻・藤尾がわずか30歳で5歳の一人娘まり子を残し病没。晩年は、自身も病気に苦しむなかで、血縁者・弟子などを養い、経済的には決して楽でない状況でしたが、それを表に出すことなく、家長としての責任を果たしました。

関係系図 家族写真
長江と妻藤尾(後列左から)
長江の父 喜平次と 藤尾の父 亀田平重(前列左から)
(写真提供:生田夏樹氏)
  「白躑躅(しろつゝじ)」
 
 まり子よ、おんみが母は
 おんみ五(いつ)つの年六月九日、
 咲き残りし白躑躅(しろつゝじ)の
 音もなく夕闇に落つるがごとく、
 我等(われら)をあとにして果敢(はか)なくなりぬ。
 いとせめて、この悲しさを、
 いつまでも、いつまでも忘れたまふな。
 −母(はゝ)なき子としてそだつおんみはせめて。
 かの初夏(はつなつ)の白き花に向かいゐて、
 不覚にも我が太息(といき)つくことあらば、
 まり子よ、おんみもおんみの母の
 かなしき、白き微笑(びせう)を思い出(い)でたまへ。
長江の妻藤尾
藤尾の姉、亀尾(かめを)は長江の兄、虎(とら)次郎(じろう)に嫁している。藤尾の死は長江に強い悲嘆を与え、長江が創作を書くきっかけとなったとも言われている。
(写真提供:生田夏樹氏)

長江の母かつ
長江の母かつ
清水観音(安来市)を篤く信仰し、不遇の人を救う慈悲深い人柄だった。長江は自分が女性そのものを軽蔑し、宗教そのものを否定する気持ちになり得なかったのは「申し分ない母を与えられた私の幸運に存する」と述懐している。
「母(はゝ)逝く」
 
吾(わ)が母(はゝ)八十歳、
労苦(ろうく)して老(お)い、老(お)いて病み、
ついに故里(ふるさと)の家(いへ)に逝(ゆ)く。
 
我(われ)は薬餌(やくじ)と相(あひ)親しみ、
母(はゝ)を見ざるもの年あり、
今また其死(そのし)をかへりみず。
 
これは是(こ)れ母(はゝ)を葬(はうむ)るの日、
三たび枕頭(ちんとう)に幼(をさな)き者をよび、
その祖母の白髪を語らしむ。
(写真提供:生田夏樹氏)

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